わたしのおもちゃ箱

人生は楽しい。何を選んで遊ぶか、それは自分次第。

宿命って。

これは
私の勝手な持論。

若い時
占いによく
通っていた。


その度に
言われる宿命、、、

ん?

生まれる前から
決めてきた宿命があるなら
私が今
思っている
願いは

叶わないのか?

シアワセに
なれないのか?

そう
考えれば考えるほど

『私はシアワセになれない』

そう思うようになり

いつしか
そう、決めつけて

生きてきた。


誰かの為になる
それだけが
シアワセ、、、

そんな人生は
やっぱり

嫌。

人並みに
結婚し、
子どもも生みたい、、、


それすらも
出来ないのかもと


ココロの奥底で
決めつけていたのだろう。


そして
この歳になり、、、

同じように
生きてきた友と
話していた時。

2人とも
自分のシアワセを

望むコトバが
自然と
出てくるようになった、、、

その中で
長年の疑問について考えていた。

『私たちは宿命に縛られていた』
『その宿命は一生なのか?』
『じゃあ、私たちの願いは叶わないのか?』

『人はシアワセになる為に
生まれたのでは?』

ふと
降りてきた、、、

生まれる前に決めてきた
宿命を
クリアするのは、、、

一生じゃないのでは?
私たち、もうやりきったんじゃない?

宿命って
夏休みの宿題みたいなものじゃないのかって。

人生めいっぱいの時間をかけるも
最後まで残して慌てるも
先に終わらせて残りを有意義に過ごすのも

自分次第。

私と友は
寝る間も惜しんで、人のために
自分に厳しく生きてきた。

それってきっと
この宿題、早く終わらせて
残りの時間を
自分のやりたいように
過ごしたかったからなんじゃ

ないのかな?

もう、終わった!
そんな気持ちを感じるように
なったから

シアワセを
口に出来るように
なったのかもしれないと。


これは
あくまでも
私の持論。


宿命は、宿題。
終わらせたら
後は
自分の好きな人生を
送っていい。

だから私と友は

思い描くシアワセに
これから
なって行くだけ。